【自己紹介】私文5留からの逆転就活

2019年4月7日

はじめまして。「かりな」と申します。
現在31歳。サラリーマン、兼当サイトの管理人をしております。

 

筆者は現在はとある副業OKのコンサルティングファームに所属し、会社で年収800万と少し、副業で年収70万ほど稼いでおり、年収1000万を目標に日々過ごしております。同世代の中では、比較的裕福と言って良いでしょう。

 

しかし、元々筆者は私文で5留し、30代で年収500万すら夢のまた夢の、底辺のクズでした。

 

5留だけでなく、スキルも資格もコミュ力も無い、プライドだけ高いクズ

 

分かりやすく5留と言いましたが、正確には1浪1休学3留年ですね。合計5年遅れで、筆者は平凡な私大の文系学部を卒業しました。

 

これだけ学歴がボロボロな上、資格はゼロ。ゼミにもサークルにも所属せず、英語やプログラミングのようなスキルもありません。当然、就活は絶望的でした。

 

そのくせプライドだけは高く、

「ブラックで安い給料の、底辺の仕事はしたくないよね。奴隷の人生で満足?みたいな。」

「やっぱ40までに年収1000万円はいきたいよね。そのためにも、何も考えずに卒業して就職とか、やばいよね?」

などと、すでに就職していた友達に偉そうに語っていました。

 

クズらしく、連続で20社ほど落ち続ける

 

しかし、そんな口だけのクズを欲しがる企業なんてありません。事実、3年の終わり頃から始めた就活は4月末頃まで全く上手くいかず、良くて1次面接まで。数えるのも嫌で詳しい数字は分かりませんが、20~30社くらいは落ち続けたと思います。

 

さすがにそれだけ落ち続けると、自信も無くしますし、

「もうどうせどこも受かんねぇな。人生終わったわ。」

「安い給料の底辺企業で、ゴミみたいに生きるしかないのかな。」

「なんかもうフリーターでも良い気がしてきた…」

と、日々ネガティブなことばかり考えるようになってきました。

 

気分はうつになり、ずっと偉そうにマウンティングしてた友達にも会いづらくなり、どこか卑屈にコソコソ生きるようになり、就活からも遠ざかり、何もかも投げなりになっていました。

 

精神科に行ったらいくつか抗うつ剤ももらえましたし、「このままうつの障害者手帳でももらって、障害者年金をもらってニートして生きていこうかな…」と本気で思っていたほどです。

 

自分の学費のためにボロボロになっている親を見て、目が覚める

 

ですが、5年も余計に学費を払わせて、さらにニートになるなんて、さすがに親に申し訳ない、とは思っていました。

 

そんな中、留年しまくって親にも半分見放されていた筆者ですが、4年の4月終わりか、5月の頭頃だったと思います。夜家に帰ると父親が待っており、

「少し話がある。軽く飲みながら話そう」

と切り出してきました。

 

話の最初は「卒業はできそうか?」「授業はちゃんと出てるか?」「就活は大丈夫か?」という話ばかりでした。就活に落ち続けて、本気で気が滅入っていた筆者は、「そんな話ならもう寝るわ」と、席を立とうとしました。

 

その瞬間、父親が「今年で定年なんだ。今年留年したら、いよいよ学費を払ってあげるのが難しくなるかもしれない。」と切り出しました。

 

よくよく聞いてみると、筆者の学費や生活費で、両親は本当に無理をしていたようです。そんなに裕福な家ではありませんでしたし、当たり前ですが、私立の学費は高いですから。

 

ずっと勝手に、親から見放されていたと思っていましたが、そんなことは無かったのです。口は出さず、ただ黙って筆者を信じ、日々懸命に筆者の学費を稼いでいてくれたのです。

 

弱気そうに、悲しそうに、悔しそうに、グラスを見つめながらそんな言葉を漏らす父親の姿を見て、「俺はなんて親不孝なんだ!」と、泣き崩れてしまいました。

 

お酒が入っていたこともありますが、就活が上手くいかずつらいこと、自信を無くしていること、心が折れかけてること、全てを泣きながら父親にぶちまけました。

 

ただ黙って聞いてくれていた父親は、筆者が話し終えた後、「しんどいよな。つらいと思う。どうしても無理だったら、また来年分の学費は何とかする。だから、とにかく後悔が無いように、頑張ってみてほしい。」と言ってくれました。今でも覚えています。

 

自分が情けなくて、恥ずかしくて、自分に腹が立って、絶対に卒業して、いい会社に就職してやる!と決意しました。

ボロボロになってまでバカな自分の学費を払ってくれた親を、さらに鞭打つようなバカな真似は、断じてできないと。

 

狂気のごとく、実験、実験、また実験

 

何が何でも絶対にいい企業に就職して人生逆転すると決意したのは、大学4年の5月頭ごろ。

 

当時の筆者は、業界研究も企業研究もろくにしてませんでしたし、面接対策なんて人生で一度もやったことがありません。

ですが、是が非でも内定を取らなくてはいけません。だから、とにかく狂ったほど数を受けることにしました。

 

それも、「ワンチャン受かればいいな~」なんてノリではありません。失敗覚悟で、あらゆる履歴書の書き方・面接手法を無限にチャレンジしました。ネットの記事で読んだこと、図書館や本屋で立ち読みしたことなど、本当にありとあらゆる手法です

 

その上で、最低でも1日1社は面接か説明会に行き、1日2~3社はESを書いて提出しました。Webテストも寝る間を惜しんでやりました。(本来はいけないことですが)時にはWebテストを友達に手伝ってもらったりもしました。

多い日では、1日に面接2回受け、説明会2回受け、ES5本、Webテスト2本くらいやってました。もちろん、全てのES・面接は全力で色んなやり方を下調べ・下準備をしているので、ものすごい時間を取ります。寝てる暇はありません。

 

絶対に留年できないので、これだけ就活に打ち込みながらも、授業には必ず出ました。集中しなければ単位を落として留年しそうで怖いので、好きだったゲームアプリは全部消しました。

 

とにかく毎日毎日、マッドサイエンティストのようにES・面接の実験漬けを繰り返す日々でした。もう二度とあんな時間は過ごしたくないと思えるほどの日々です。必死だったのです。

 

徐々に「一次面接は通って当たり前」になってくる。

 

リクナビ・マイナビから狂ったようにESを出し続けていたので、最初は書類で落ちてばかりでしたが、少しずつコツを掴み、一次面接には進めるようになってきました。

 

毎日2~3社はESを出していましたから、ほぼ毎日一次面接の通知が届くようになり、気付けばほぼ毎日面接をしていました。

多分、就活生の中で最も面接を受けた学生の一人だと思います。

 

毎日のように面接を受け、そのたびに色んな手法を試して試行錯誤していると、バカな筆者でもさすがに要領が分かってきました。

 

多浪・多留の言い訳にはどんな言い回しが良いのか。どう自己PRすれば良い人材と思ってもらえるか。少しずつノウハウが固まってきて、ついに初の最終面接を迎えました。

 

苦労はしましたが、ここまで順調に成果を上げてきた筆者ですから。最終面接とはいえ、自信はありました。

しかし、ここで最後の壁にぶつかることになります。筆者は、最後の最後の最終面接だけ、どうしても突破できなかったのです。

 

最終面接突破の「最後のピース」がはまる

 

一次面接のノウハウが固まってくる頃には、ほぼ一次落ちしなくなりました。それどころか、6月末頃には、受けた企業の半分近くは最終面接までたどり着くようになっていました。

 

にも関わらず、最終面接を何度受けても落ちる。あきらめずに挑戦しても、また落ちる。

 

最終面接までようやくたどり着いたのに、結局落ちて全てが無駄になる…。そんな経験を重ねた結果、気力体力共に尽き、心はほぼ折れかかっていました。

 

正直、この時期が一番精神的にキツかったです。

 

「どうしようどうしよう…どうしたら受かるんだろう…」と、毎日怯えるような時間を過ごしました。もはや、最終面接自体が怖くて仕方ない状態でした。

 

そんなある日、既に社会人だった友人Kくんから、「転職するから転職活動手伝って~」と声がかかりました。もう7月になった頃で、筆者は試験勉強を言い訳に就活から逃げていた時期でした。

 

筆者は「いい気分転換になるかな」と思い、KくんのWebテストの手伝いをしたのですが、その時ふと気になって聞きました。

「お前はどうやってホワイト高給な企業を探したり、面接対策したりしてるの?」

 

するとKくんはこう言うのです。

「え、普通にエージェント。」

「エージェントめっちゃいいから、かりなも使ってみたら?」

 

エージェントという存在を全く知らなかった当時のぼくには、寝耳に水の話でした。

なんでも、企業探し、ESのアドバイスや添削、面接の日程調整や企業ごとの自己アピールのアドバイスまで、何もかも無料でやってくれるというのです。

 

最終面接に落ち続け、藁をも掴む思いで可能性を探していた筆者は、即座にオススメのエージェントを聞き、調べ、登録しました。

片っ端から企業を受けすぎて、いい加減企業探しに疲れてきていたので、代わりに企業探しをしてくれる、というのも好都合でした。

 

ついに待望の内定!

 

いくつかのエージェントに登録し、希望の条件を伝えると、すぐさまいい条件の企業を教えてくれました。

なんでも、エージェント経由でしか応募できない「非公開求人」というのもあるらしく、自分で探しても出てこない優良企業がかなりあるらしいのです。

 

8月に入り試験が終わると、筆者は夢中になってエージェントの方からアドバイスを伺いました。さながらイチローに出会った野球少年のようでした。

エージェントの方のアドバイスは本当に素晴らしいもので、エージェント紹介の素晴らしい企業を受けてみると、いつも以上にトントン拍子に最終面接まで進んだのです。

 

ついに、魔の最終面接。

もはや最終面接が半分トラウマになっていたのですが、そんな弱腰な筆者のために、エージェントの方は本当によくしてくれました。

 

様々な最終面接のアドバイスをいただき、模擬面接という実践的な練習もしていただき、自分に足りないところ、伸ばすべきところが見えてきました。自信を失っていた筆者ですが、少しずつ希望の光が見えてきた気分でした。

 

そしてついに最終面接当日の朝。エージェントの方はわざわざ筆者に電話してくれました。

「かりなさん。かりなさんは、本当に一生懸命就職活動を続けてきました。

私のアドバイスもすごく熱心に聞いてくれましたし、面接の実践練習ではそのアドバイスを完璧に自分のものにしていました。

あとは、練習通りのかりなさんを見せるだけで大丈夫です!頑張ってきてください!」

 

そんな電話に勇気付けられたら筆者は、過去最高に気合いが入って、しかし冷静に落ち着いた、不思議な感覚で面接に臨みました。

 

……結果、ついに、その場で内定をいただけたのです!

 

ありがとうございます!ありがとうございます!頑張ります!

そう役員の方に伝えて面接会場を出てから、筆者は即座にエージェントの方に電話しました。

 

「内定です!今内定だって、その場で言ってもらいました!ありがとうございます!本当にありがとうございます!!」

昼過ぎのオフィス街のビルの前で、半泣きになりながらエージェントの方に電話でお礼を伝えました。この時の感動というか、ホッとするというか、救われたような気持ちは一生忘れません。

 

内定、内定、また内定

 

エージェントの方経由ではない最終面接も、まだまだ何社か残っていたので、せっかくだからと全て受けてみました。当然、エージェントの方から教えてもらったアドバイスを、忠実に実行して。

 

するとなんと、1社だけ落ちてしまいましたが、それ以外の会社から全て内定をもらえたのです!

 

しかも、零細企業ではありません。その頃はもう8月でしたので、大手上場企業も含まれていました。

 

多留仲間も、内定、内定、また内定

 

無事自分の就活を終えた後は、当時の多浪・多留仲間に、筆者が積み重ねたノウハウやエージェントからのアドバイス、おすすめエージェントを伝えました。同じ多留仲間として頑張ってほしかったからです。

 

そうしたら、お祈り続きだったみんなも、ES突破、一次面接突破と続き…ついに内定までたどり着きました。

一度内定まで到達すると、今までの落ち続けた日々が嘘のように、内定ラッシュが始まりました。

 

「初任給500万のIT企業に受かったよ!」

「平均年収800万超えの不動産デベロッパーから内定取れた!」

「夢だった大手商社にいける!」

「かりな、本当にありがとう!!」

 

こんな毎日が続き、夏休みは本当にお祭り騒ぎで、頑張って良かったと心から思いました。あんな感動は、滅多に味わえません。

 

次はあなたが内定を勝ち取る番です

 

その後無事卒業した筆者は、結局一番条件が良かった、エージェントの方に紹介していただいた企業に就職しました。

 

そして、仕事に明け暮れる日々を過ごしました。

 

そして今、就職してから数年経ち、最近少し仕事に余裕が出てきて、ふと思い出したのです。「4月のこの時期、就職で地獄のような毎日を過ごしてたな…」と。

 

筆者の血の滲む努力で得たノウハウ、そしてエージェントの方の的確なアドバイスは、多浪・多留生が就活で成功し、人生を明るく素晴らしいものとする上で、確実に役に立ちます。

 

このノウハウを、このまま一生使うことなく腐らせることは惜しいです。

このノウハウは、せっかくですから、筆者と同じく多浪・多留で悩む学生に役立ててほしい。そう思い始めました。

 

そして、いてもたってもいられず、このサイトを立ち上げたのです。

 

初めてのサイト作成で、まだまだ拙いところもあると思います。ですが、書かれている内容は、どのサイトよりも濃く、役立つと確信しております。

 

多浪・多留で就活が上手くいかず悩んでいるあなた。将来に明るい夢も希望も持てない、と諦めているあなた。

決して諦めることはありません。

当サイトのノウハウを実践すれば、必ずや就活に成功し、最高の企業に就職して、高い給料と自由な日々を手に入れられるでしょう。

 

今は就活がなかなか上手くいかず、つらく厳しい日々を過ごしているかと思います。

ですが、筆者こそ、多浪・多留でも努力で人生が開ける、生き証人です。

私文5留、資格もコミュ力も無しの筆者にできたのです。あなたにもできます。筆者と、当サイトはあなたの味方です。一緒に幸せな未来を掴みましょう!

 

最後までお読みくださり、本当にありがとうございました。